ティンガティンガ
ティンガティンガの歴史
Tinga Tinga(ティンガティンガ)とは、
1960年代末頃、
タンザニアのダルエスサラーム郊外で
誕生した絵画スタイル。
マゾニットと呼ばれる建築資材に
エナメルペンキで描かれたものを指します。
主に描かれているのは、
猿やヘビなどの身近な動植物から
自然における神聖とされているものまで
多岐にわたるが一般に人工物よりも
自然物が多く描かれる事が多くあります
エドワード・サイディ・ティンガティンガから始まったアート
Tinga Tinga(ティンガティンガ)という名前は、画風の創始者である
エドワード・サイディ・ティンガティンガ(1937~72)に由来します。
南部のトンドゥールで育ったティンガティンガは、
大人になると仕事を探しに都会のダルエスサラームに出てきました。
当時、海外からの観光客が買い求めるものは、コンゴから来た絵画でした。
それを見た彼は
「なぜ、ここにタンザニアのアーティストのものがないんだ?」
「そのアーティストは、自分自身ではいけないのか?」
「そうだ、俺が自分で絵を描けばいいんだ!」 と一念発起した彼が、
建築用の合板にエナメルペンキで動物や植物を描き始めたのが始まりなのです。
そして沢山の作品を作り上げていきながら自分の家を絵で飾り立てたところ
外国人コレクターの目に留まり、家ごと譲って欲しいと言わしめました。
そして、その作風は北欧を中心に世界へと広まることとなりました。
しかし、彼の活躍の時期は短く、
1972年5月17日、雨の夜、友人に車で送ってもらう途中の事。
検問中の警官が、彼の乗った車を不審車両と思い、車を止める為、威嚇射撃を行ったのです。
その弾が、運悪く彼に命中し、そのまま帰らぬ人となりました。
35歳というあまりにも早い死でした。
ティンガティンガ精神は、弟子達の手で広まり、世界へ
彼は生前、彼の元に集まっていた親戚たちを
直弟子として絵の手ほどきをしていました。
そして、彼の亡き後も
その弟子たちが彼の作風や精神を受け継いで
現在に至ります。
生前、彼は作品を売っていくことも
弟子に勧めていました。
だから、彼の死後も弟子たちが中心となって
受け継ぐことが出来たのです。
現在ではダルエスサラーム郊外に
アーティストたちだけによって運営されている
ティンガティンガ村というところがあります。
ここでは、50人近くのアーティストが青空の下
毎日、新しい絵を描いています。
このアートの広がりとアーティストの広がりが
大きな幹に沢山の枝をつけてタンザニアの大地から世界へ。
それはまるで、バオバブの木のように。
そしてその枝がHi-Hopeを通じて、
ここ北九州に届いて多くの方にタンザニアの空気を少しでも感じて欲しいと思います。
Hi-Hopeは、ティンガティンガ村の作品を販売しています!
Hi-Hopeが取り扱う絵画は、
全てティンガティンガ村で買った証明として
スタンプを押しています。
なぜならば、
本来ティンガティンガと名乗れる絵画は、
この村作成されたものだけだからです。
今、タンザニアにあるお土産屋さんでは、
ティンガティンガ村で書かれていない絵画を
ティンガティンガと名乗って販売しています。
この現状にティンガティンガのペインターたちは、
先人達が積み上げてきたティンガティンガが衰退してしまうのではないか?と危惧しているのです。
例えるならば、日本の輪島塗りと同じ様に石川県・輪島市で作られて、はじめて輪島塗と言えます。
技術的には輪島塗と言えるものであっても石川県・輪島市以外の場所で作ってしまえば、
その作品を輪島塗と名乗ることはできません。
それは、文化を守り、未来へ存続させる為に
みんなで”ルール”を作ったからです。
しかし、今のタンザニアにはその"ルール"がありません。
このままでは、絵画の品質が保証出来ず、近い将来ティンガティンガはなくなってしまうかもしれないのです。
Hi-Hopeは、ティンガティンガの品質保証・文化の向上の為、ティンガティンガ村の組合長含め多くのペインターと
話し合い、”ティンガティンガ村の絵画には必ず
スタンプを押す”ようにしました。そうすることでペインターの
生活や創作に反映するようにしたいと思っています。




